「地域づくりを労働者協同組合とともに」

石巻 波板地区 会長 波板地域交流センター 代表 
青木 甚一郎氏

宮城県石巻市雄勝町(おがつちょう)は、600年の歴史と伝統に裏付けられ、名硯として称賛される「雄勝硯(おがつすずり)」の産地です。この雄勝町の波板(なみいた)地区に、労働者協同組合とともに地域づくりを目指す波板地区自治会があります。
雄勝町に千葉県から移住し、東日本大震災からの一日も早い地域の復興に向けて地域住民の活動支援を行ってきた古田夫妻が、「労働者協同組合おたすけおんがく隊」を立ち上げました。
「労働者協同組合おたすけおんがく隊」と波板地区自治会が共に目指す地域づくりについて、波板地区会長の青木甚一郎氏に伺いました。

「誰もが住みやすい地域づくり」を始めた矢先の東日本大震災

波板地区には様々な課題があります。
その一つが携帯の電波の問題です。石巻の市街地で働く人は職場のある市街地では携帯電話が繋がりますが、自宅に帰ると繋がらず、実家に遊びに来た子どもたちも電波がないためと直ぐに市街地へ帰ってしまう課題がありました。そんな課題を解決しようと、波板地区自治会からの要望を受けて、石巻市が簡易アンテナ設置を進めました。
また、地元に戻ってきた方が気持ちよくお墓参りができるようにと、先ずは自分たちの先祖、そして、波板にゆかりのある人たちの墓地から綺麗にして、いつお墓参りに行っても、手を合わせられるように自治会で草刈りを行うようにしました。追々は墓地にベンチを置いて、天気のいい日はそこで海と山を見ながらお墓参りができるようにしたいと思っていました。

波板地区には、障害があるなどの様々な理由で共同作業に参加できない人がいましたが、かっては自治会の共同作業に欠席すると、一定額のお金を納めなくてはいけないという地区の決まりがありました。「それはおかしいだろう」と当時の自治会のメンバーみんなで話しあい、そうした地区の決まりを廃止にしました。
「用事のある人は暇なときに手伝ってもらえれば良い、身近な困りごとを地区のみんなで助けながらやって行こう」、「身の丈に合った、出来ることを出来る人がやる活動をしよう」と自治会のメンバーで新しい地域づくりを始めた矢先に発生したのが、東日本大震災でした。

地域に溶け込んだ「本気」の支援

東日本大震災により、21世帯あった集落のうち、17世帯が流され、残ったのは4世帯。
流された17世帯は他の地域に避難しました。そのうち、12世帯は復興後は地元に戻ってくると言っていましたが、実際に戻ってきたのは6世帯のみでした。

そんなときに「復興応援隊」(※)として古田夫妻が千葉から雄勝にやってきて、昨年の春から波板地域交流センター(通称:ナミイタ・ラボ)に住むことになりました。古田夫妻が加わって現在は11世帯となりました。

(※)東日本大震災からの一日も早い復興を目指し、被災地の地域づくりを目的とした住民主体の地域活動を促進するため、県が市町村及び関係団体と連携して、それぞれの地域の復興に向けて意欲的に取り組む人材を内外から募って「復興応援隊」を結成し、一定期間,地域住民の活動支援に従事する制度

「ナミイタ・ラボ」は、東日本大震災後に、地域のみんなが集える集会所が欲しい、と東北大学の教授などの協力も得て兵庫県からの義援金を財源とした「被災地交流拠点施設整備事業」に応募したところ、宮城県・兵庫県の選定委員会に見事採択された結果、設立された施設です。

設立当時は選挙会場や地区を訪れる団体の宿泊や、様々なイベントにも使用されていました。義援金で建てられた施設はほかにもありますが、「複合機能拠点タイプ」として多目的に使用できる施設は石巻市ではここだけです。

東日本震災の後、多くのNPO法人や財団などが、支援のために石巻を訪れました。色んな人たちが来て、中には有名な人たちも結構いました。お気持ちはありがたいと思いながらも、数回来ただけですぐ帰ってしまう活動のように次第に感じるようになってしまいました。

そんな時に、定期的に千葉県から歌を歌いに来ていたのが古田さんと仲間たちです。
音楽を通して地域を元気づけたい、とその活動は2015年から始まり、2018年からは夫妻で住まいを雄勝に移し、「復興応援隊」として活動を始めました。古田さんたちは、地域新聞を発行して、雄勝地域の住居を1軒ずつ歩いて回って地域の人との関係を築いてきました。

私は、はじめは「復興応援隊」の活動には懐疑的でした。「復興応援隊」は役所の活動のため、地域の中に実際に人が入り込んだ活動はしないだろうと思っていたからです。むしろ、1時間でもいいから地域に溶け込んで活動してほしい、と思っていました。

しかし、古田夫妻は違いました。雄勝の集落を1軒ずつ2人で歩いて回っているのです。その姿を見てこれは本気だ、と思いました。

何もやらなくて言葉だけで雄勝のことを言われると「うるさい、お前に何が分かる」という反応になってしまいますが、2人は「復興応援隊」の活動以外にも、休日に波板地区に来ては携帯の操作で困っている人、パソコンの画面が固まって困っている人、一人暮らしの人の清掃の手伝いなど、地区の一人ひとりに寄り添った、まさに地区に溶け込んだ活動をしていました。

このように、2人の活動はちゃんと地に足のついた活動になっているため、2人が「ナミイタ・ラボ」に住み、運営を手伝っていることに反対している人は誰もいません。

「労働者協同組合おたすけ音楽隊」と協力して地域の魅力を生かした活動へ

波板は景観の美しい地区です。自治会では夏場は子どもたちに浜を開放して「浜あそび」を行っています。これは、海水浴場ではなく、利用者が自己責任で遊ぶ浜です。「浜あそび協力金」として車1台当たり800円を頂戴しますが、その中からトイレや浜辺の清掃に係る経費などを賄っています。海水浴場とするとライフセーバーの設置や見張りなどを置かなくてはいけない。それには人が足りない。だから、私たちが目指したのは「子どもたちが安全に遊べる浜」、子どもたちの遊び場です。ライフジャケットは無償で提供しており、子どもたちの安全を守るため必ず着用していただいています。

自治会も高齢化が深刻となり、我々だけではこの活動も継続していくことが難しかったのですが、今では地域に古田夫妻とその仲間たちがいます。

古田夫妻とその仲間たちが設立した「労働者協同組合おたすけおんがく隊」は、なんでも屋事業を行う「おたすけ隊」、音楽・イベント事業を行う「おんがく隊」、そして農泊・体験事業を行う「たいけん隊」を併せたものです。

「浜あそび」を楽しむ子どもたちの光景を波板地区に残していくために、「労働者協同組合おたすけおんがく隊」でこの活動を継続していってほしいと期待しています。

その他にも「労働者協同組合おたすけおんがく隊」に期待していることがあります。

雄勝町の魅力、特徴を一言で言うと、硯の生産が日本一だということです。硯や石が評価の高い地区なので、インターネットを活用したPRを若い感性でやってもらえないかと考えています。

音楽を中心とした今の活動は、きっかけの一つとしてはいいものの、不安定要素が結構あると思うので、もう一つの軸となるものとして、雄勝の石をPRして自分たちで収益を得られるようになればよいと思っています。

波板地区の思いとしても、古き時代の「雄勝の硯」をなんとか復活させたいと思っています。新たにいろんな製品作りをするより、今ある石や、今ある素材を利用して、もう一つの事業の柱を地元の資源を活用して行えないかと考えています。

「労働者協同組合おたすけおんがく隊」の仲間と波板地区の方にも声をかけて、どれだけ収益が出るかは今の時点では確たることは言えませんが、波板地区に居る人達も巻き込んだやり方の方が面白いのではないかと思っています。あとは、アイデアと、自分たちのPR次第でお互いにとって良い結果がもたらせるのではないかと思っています。

労働者協同組合の好事例を参考に夢が広がる

労働者協同組合のことを私自身はまだそれほど詳しくは知りません。

しかし、労働者協同組合の特設サイトの好事例で紹介されている「地域の居場所づくり」や「自治会による地域づくり」などの事例は、我々がまさにやりたいと思っていた活動でした。当時は、古田夫妻のような人もいなくて、地区として具体的な計画を立てるところまでいきませんでした。

事例紹介の中には「キャンプ場の運営」もありました。荒廃山林の活用と聞きましたが、震災後に石巻市が買い取った土地を10年間地区で自由に使用して良いとなりましたので、夏場の「浜あそび」に加え、借り受けた土地を活用して「キャンプ場の運営」もできるのではないかと、期待が膨らんでいます。

持続可能で活力ある地域づくりを目的とした「労働者協同組合おたすけおんがく隊」が我々の地域に設立されました。まだ組合としても小さな組織ですが、この組織となら我々が目指していた地域づくりができそうな気がします。

震災後、この雄勝に移住して、地域に溶け込んだ「本気」の活動を行ってきた古田夫妻とその仲間たちが設立した、この労働者協同組合と、集落が持続して、「あそこの集落、波板地区がなくなると困るよな」と言われるような地域づくりを目指していきたいと思っています。